こんにちは、モモです。(@sanshibu)
2024年7月20日山岳事故発生、その後入院加療し7月24日に退院しております。
さっそく詳しくお話していきます。
釣行日当日
その日も車を走らせ目的地へ、林道を数時間歩いた後は釣りを開始しました。
竿を出して途中まで遡行したこと自体は覚えているのですが、大体朝7~8時程度の時間だと思われます。
なぜかその後の記憶は一切ありません。
遭難発覚日
目を覚ますと岩場に横たわっており、全身から痛みが生じます。
右前頭部は大きく腫れ、左手首はまともに動かすことができません。
体を動かそうにも痛みが離れずにいる状態です。
ザックは身に着けておらず、眼鏡もありません。
基本装備の沢登用上下スーツにヘルメット、熊スプレーと熊スズ以外は何も所持していない状況でした。
視覚からは有効な情報を得ることができずに、とにかく林道を探索してみることにします。
途中で大体の位置関係を把握し、なんとか車元まで歩いてみることに集中しました。
車止めにて
体を引きずるようにして、車止めに到着します。
車を開けようとするも、当然の様に道具を何も所持していない状況であるので不可能です。
頭部を強く損傷、24時間以上糖分や水分を摂取しておらず極限状態であるためでしょう。
その場で人里まで行動するように決断できればよかったですが、ザックを探そうと元の場所まで戻ろうとします。
視覚から有効な情報を殆ど得ることができない状態なので、何も見つけることはできません。
しばらく横たわった後に、再度車まで行こうと決心しました。
人との遭遇
車に到着するもできることは何もありません。
意識は朦朧としており、疲労困憊の状態のため、横たわることにしました。
どのくらい時間が経過したか分かりませんが、原付に乗った人物2名に声をかけられます。
👤「おい!大丈夫か!」
目を覚まし、何とか会話を始めます。
道具がなく、移動する手段もないことを伝えると……
👤「これは、救急車が必要だろ!」
と車に乗せて移送してもらえることになりました。
その後は、何とか救急車へ乗車し救急隊員3名の方のお世話になりました。
途中から記憶が定かではなく、恐らくドクターヘリにて病院搬送されたと思われます。
入院加療
目を覚ましたのは、翌日。
気が付くと救急病棟に入院している様でした。
医師看護師から話を聞くと、頭蓋内は出血しておりMRI評価済みで、今後もフォローが必要とのことでした。
左手首はX-Pにて評価済みであり、保存加療か手術適応かどうか協議中と言われました。
身体レベル
全身からの痛みが治まる気配がなく、全身が管(点滴、尿カテ)だらけの状態で動くことが困難です。
立ち上がって歩行しようにも、起立性低血圧の様な症状や脳虚血発作に類似した頭痛が止まりません。
数日経過し、ようやく看護師付き添いでリハビリ歩行が可能となったのが事実です。
治療方針、手術適応
保留となっていた左手首の扱いに関しては、保存加療に決定となりました。
入院し追加の治療を実施する必要がないことが判明したため、退院交渉を開始します。
無事、24日に退院となりました。
退院後生活
両親が迎えに来てくれた関係で、一時実家に帰省することになりました。
休職期間でもあるため、まずは失ったものをどうするか考えることにします。
身体レベル
退院したら歩行状態が改善している点に気が付きました。
頭部と左前腕は、満足のいく働きを期待できませんが大きな一歩です。
ザックを失ったということは、携帯電話を含めた全ての道具の所在が不明であるということです。
トータルは、金額でいうと100万円クラスの損失です。
再度訪問
再度源流ゴルジュへ向かい、どこに失ったものを置き去りにしているかが知りたい情報です。
唯一、足だけは二足歩行が可能な状態であったので現場検証へ向かう意志は貫く所存でした。
心強い味方は、必要。
犬しかありえません。
犬と共に、源流ゴルジュへ
強靭な身体能力、対野生動物への対処能力、互いの以心伝心を考慮すると犬しか適材はいません。
人間を挙げたいですが、能力不足ということです。
サバイバル登山家の服部文祥さんが犬と共に冒険を繰り広げていたことが記憶に残っていたため、自分にできないことはないだろうと思いました。
実際、体力不足や能力不足を感じさせるような素振りは一切なく、なぜ今まで犬と共に山岳渓流へ行かなかったのだと後悔することになりました。
遡行時の難点
左手が一切使い物にならない状態で、ゴルジュ帯の突破は難易度が跳ね上がります。
岩場を飛び移る動作すら、全身から衝撃を抜き切ることができずに痛みの発生が避けられません。
重心移動や沢登は、体の身体能力を使いこなすだけの回復をしていなければ満足に実施することができません。
ザックを捜索しましたが、体の配慮で精いっぱいというのが現実でした。
天候の異変も察知し、撤退を速やかに決定します。
今後
幕営用の装備やザックは全て、別として用意していたため山道具を全て失ったわけではありません。
しかし安全管理道具を含め、釣り具は全て消失といったのが現実です。
被害規模は100万円を余裕で越えるので、再スタートには慎重にならざるを得ません。
今回の事故で良かった点
山岳遭難、救急入院、全身裂傷という出来事がありましたが、人間である以上振り返り動作は必要不可欠です。
まずは、良かった点から見てみます。
装備
MRI結果、頭蓋内出血は生じていますがドレナージや緊急手術を要するステージではなく、保存加療が可能という恵まれた状況です。
写真が、装着していたヘルメットになります。
損傷が激しく、至る所に穴が開いているのが分かります。
通常、頭部が受けていた全ての傷が写真ということになります。
ヘルメットがなければ、この世に存在していなかったことが証明されました。
沢登用のウェットスーツにより、低体温症を回避。
熊スプレーと熊スズを所持していたことにより、野生動物への対処能力が健在だったことが事実です。
普段からリスクマネジメントを積み重ねてきた恩恵は存在、「死と後遺症」を免れるという現実を無視することは不可能ということになります。
私は生き残りました。
保持されていた思考能力と身体能力
普段から身体管理を徹底、一日1食or2食で栄養バランスを考える日々を送り20時間以上の絶食は珍しくありません。
BMI17台で筋肉率45%以上を維持しており、24時間以上の絶食下にも対応可能だったということです。
共に山行する人からは、「化け物」「人外」「サイボーグ」「ターミネイター」と日々言われておりました。
極限下でも維持可能な身体能力が必要不可欠ということです。
道具選定によるリスクマネジメントから頭部保護に成功、思考能力の維持につなげることができました。
保持されていた思考能力と身体能力があったという現実は無視することができない点です。
トラウマにならず
身体に強いストレス負荷が生じることで、PTSDを始めとした精神障害の無視はできません。
しかし、発生するどころか退院して直ぐに源流ゴルジュへ突撃している点から健全な精神が維持されていることが証明済みです。
閉鎖精神科病棟にて、社会的にドロップアウトする可能性を払拭したということになります。
あらゆる刺激は発生するので、生じた場合の対応方法を学んでいくことが大切なのです。
今回の事故で不明な点
人間のメリットを生かすためには、反省し推察することは必要です。
不可解な点はしっかり残します。
発生原因、失った記憶と装備
記憶の断絶が朝の7時から8時の間に生じ、次の日の日中まで一切の行動が不明。
24時間以上の行動や思考が全く把握できないということです。
犬と共に再訪した際に、渓相は視覚から思い出すことができましたが、どんな行動をしたかは全く分かりません。
どんな思考と行動をした結果が事故になったのか、一番リスクマネジメント上知りたい点ですが、不可能です。
山へ入る前の準備段階で、結果が全て決まるという事実を身をもって経験しました。
命を守ることができた当時の装備は、揃えなおす必要があります。
決意
山岳遭難、救急入院、全身裂傷という事実は否定できません。
普段のリスクマネジメントにより「死」から逃れることができた現実を無視するつもりもありません。
SHELL分析を用いて、山岳渓流へ没頭する上での注意点に主眼を置いた記事作成は今後も継続していく予定です。
お互いに「生きて」山行を楽しんでいきましょう。
後日談
2ヶ月間の休職期間を経て、9月24日に復職可能となりました。
長い療養期間で、人生の振り返りです。
身体レベル
頭蓋内血種を形成していた関係で、入院時から短期記憶障害のような症状が散見。
計算能力に特筆すべき点はなかったものの、高次脳機能障害が後遺症として残る可能性がありました。
テストと検査を経て、脳神経外科的には職場復帰をしても問題ない結果となり、今後は慢性硬膜下血腫の出現に留意するようにとのことです。
今後も注視が必要。
左手首の骨折に関しては、ギブスが取れた以降も過度な負荷や重量のある物を持たない様にとの指示がありました。
拘縮が進んでおり、日々リハビリを継続。
👤「この時期で、これだけ動いていれば充分だ。2-3カ月も経てばもっと良くなるよ。」
医師の見立てでは、復職可能となるまでもっとかかるとの予測だったのでしょう。
とても驚いた顔で言っていたのが印象的でした。
骨折の影響で、両手首の関節可動域は同程度とは言えませんが日常生活動作をする分には問題なさそうです。
ゴルジュ帯への再訪
身体レベルがある程度回復したため、失った記憶を取り戻すために単独再訪を決意しました。
記憶が残っているものの、思い出すことができない状態の可能性があります。
視覚情報が入る機会を経ることで、断続的に浮かび上がることは映画や物語の話ではありません。
まさに、山岳事故発生時と同じ時間帯に突撃。
遡行していくにつれて、当時の記憶が鮮明に浮かび上がってきます。
加えて天候変化し、雨が降り始めて悩んでいたという状況も思い出すことに。
さらに遡行すると考えるのも恐ろしい結論が出ます。
受傷した状態で、沢下りは不可能に近い渓相。
ということは、沢から上がった下山途中に何かが生じた?
もし、遡行中に受傷してもかなり下流まで移動してきたとしたら、それは本当に「化け物」としかいいようがありません。
「化け物」でいたくない理由で、下山途中に滑落や獣の強襲が発生した結論の方が望ましかったのです。
受傷経緯や24時間の記憶を取り戻すことはできませんでしたが、ある程度の可能性は想像することができたので無駄ではありません。
釣りに対する考え
仕事をしている以外の時間は全て、山や渓で過ごすことに費やしていました。
休日の際に街中で過ごすことはほとんどなく、休職期間は本当に精神が安定しない地獄のような状況です。
人工物、機械音、車の音、人の声といったノイズが自分にとって嫌いで避けたいものだということが理解できました。
そういったノイズと無縁の環境で、椅子をおいて読書をする日々は精神的安寧をもたらしてくれます。
以前の私なら、身体レベルが完全に戻っていない状況でも山と渓に向かっていたはずです。
それは、「人生の目的と目標が明確に定まっており、狂信的ともいえる情熱が私を掻き立てていた。」から。
退院直後や単独再訪から、PTSDやトラウマのような感情を抱いている可能性は低いです。
考えられる可能性は2つあります。
「死」の体験からの変化
人は通常「死」に対しては他人事です。
まるで自分は永遠に生き続けるような気持ちで、余命宣告や死期を悟ることでようやく向き合い始めます。
ヘルメットがなければ確実に即死であった状況なのが事実。
「死」を体験し、頭部を打ったリスクマネジメントの面から、万全を期すまで山と渓へ行かない方がいいと思ったのでしょうか。
受傷前の月は、2泊3日の源流泊を複数回実行し、満足度の基準が変化したのだとも思いました。
だが「死」を無視できないことで、今までやってきたことに対して……。
「本当にそれ満足できる?興味ある?人生をかけてやりたいことなの?無意味だと思ったか?」
という考えが、精神の基部にあるのでしょうか。
思っていないつもりですが、本当はそう思っているのか?
だから、以前の情熱がなくなってしまったのか。
人生に満足
人生の目標と目的を明確にして、自分の「意志」の元に情熱をもって生きていました。
正直な話、山岳事故のまま死に至ることで満足感に満ちた人生として終えることができたでしょう。
状況から判断すると、確実に死は近かったはず……。
自分が思い描く理想通りの人生を、目標と目的に従って実現していたということです。
それはつまり、「人生に満足」していたということになります。
既に満ち足りているコップには、水をいれることはできません。
山と渓に対する情熱は、自分の中に満ち足りてあふれ出した。
だから狂信的に求める情熱がないということです。
「生」と「死」
「死」を通して無意味なものだと考えてしまった、「人生に満足」したことで満ち足りた状態になったという可能性はあります。
結局、結論は分からないのが事実です。
街では何をしても落ち着きません。
土の匂い、木や動物を始めとする渓を取り巻く匂い。
どれも私にとっては「空気」のようなものです。
街の暮らしは「空気」がないから落ち着かないということが分かりました。
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