こんにちは、モモです。(@ayumi.mitsuishi)
今回は大井川水系へ2泊3日の源流泊をしてきました。

本釣行は、2026年6月11~13日の内容をまとめたものとなっています。
1日目

梅雨の時期が釣行計画に多大な影響を及ぼすのはいつものことだが、合間を縫って泊を決行するに限る。
車止めまでの区間が倒木や落石によりアプローチが困難になるのも、多くの山釣り師達にとって日常風景であるだろうが、今回も当然の様に発生。
予定していた場所より数km手前から歩きださなくてはいけない状況になり、1時間は費やすこととなった。

倒木により通行不能となった区間以遠にも、楽観視できない土砂や落石が頻発していたのも事実だった。

どの道、倒木如何によりどうにか解決できたという話でもないようで、悩むだけ無駄。

そもそも山屋というわけでもなく、山頂を目指す登山というものに特別な魅力を感じているわけではない。
ただ目的の源流部や沢にアプローチするのに、「登山道」を利用するのが余りにも効果的であるため登山道歩きを選択している。
つまり何が言いたいかというと、一般的な登山道選定やコースタイムという概念に精通しているわけではないということ。
当然の様に全てが新規開拓であり、同じ場所、区間、道程をたどらない、というより忌避するような状態に近いので、脳の処理負荷が極めて高い。

加えて単独行を合わせると、往路で時間を要するのは自明の理である。

当然の様に鹿やカモシカの足跡による誘惑を受けたり、これもまた風物詩の1つである藪漕ぎに勤しむこととなった。
近年は登山アプリが幅を利かせており、「点」での把握に有用であるが、「面」としての状況処理には依然として紙地図に軍配が上がると感じてしまう。
実際に、人間程度の情報処理や空間把握能力を過信は危険で、第三者の視点で客観的に事実を突きつけてくれるコンパスと紙地図の警鐘に救われることも多々ある。

ここもギアを過信しろと言いたいのではなく、一呼吸おいて冷静に現在の自分の状況を把握する時間を設けることが必要ということだ。
絶対に大丈夫という意識程危険な物はなく、通常あり得ないと思うような選択ミスをした時ほど、とりあえず立ち止まり内省する時間の重要性は強固な確信へ至る。
私のように、山屋でもなければ沢屋でもない釣屋は、そもそも山の形状から「あの山が○○山かぁ。綺麗だなぁ。」ということも「ふむふむ、ここの尾根が有名な区間である○○であり、ということは前方に見えるあの山は○○ということか。」と瞬時に理解することもない。

なぜなら興味が全くないからである。

だからこその、自分の知識や技術だけを過信せず、客観的な事実を突きつけてくれるツールの利用が重要となる。と帰結する。
旧国土地理院地図にて、存在を抹消された林道や杣道があることは把握していたのでその場所を経由地として沢へ降りることにした。

実際には綺麗な林道に見えたが、南アルプス深南部に散見される土砂崩れ等により、安易に街中から利用してくるべき場所ではないことも再認識できた。

斜面を下り、細流と平行することで幕営地を予定していた箇所へ昼過ぎには到達。
間欠的に降り続ける時期と、そもそもの山岳渓流の特徴から少々焚火に利用するのには湿った薪といった状態だが、ある程度集めて設営も完了させた後は「釣査」である。

まずは幕営地より上流を目指しルアーを流してみると、早速アマゴが出てきた。
例の如く、スマートフォンのみの撮影となってしまい、次回以降は必ずしもと毎度毎度の念を込めた。

上を向いてチラチラ漂流物待ちをしているイワナが多かったので、フライの選択をしておけばとも感じたが、とりあえず現時点ではルアーを継続。

着水と同時に、ひったくるような衝撃が走り、水中で白く光ったような感じもしたため、一瞬アマゴかとも思ったが、手繰り寄せるとヤマトイワナ。
時間帯&峡谷&間欠的悪天候のため、正直な話、積極的な意欲はなかったが、おざなりな対応は後に甚大な後悔へ変わることは容易に理解できたので、できる限りの撮影をした。



見返してみると、その場での最善を尽くせてよかったと思う事からも、一時の心像だけに流される危険性には毎度驚かされる。
幕営地の目の前では、アマゴとヤマトイワナの集団が上を向きながらプカプカ浮いているので、フライフィッシングシステムを構築し、ロッドを岩の上に放置。
今日の内は早めに焚火をしながら、酒を飲み、時折ライズパーティ目掛けてフライを投じる楽しみとした。

これも単独行ならではの、誰にも気兼ねせず好きなままにできるという強みだが、極端すぎても面白みにかけるので、中庸を心がけたい点でもある。

突発的な降雨も、後からの評価で「持続でない間欠的」とこじつけることができる。
早めに切り上げて熾火を形成できた後の出来事だったので何の心配もする必要がなく、かつ釣りを早々に切り上げた正当化もできたので満足だった。

焚火の前でのアルコールと渓でのフライフィッシングを往復する時間は、とても心地いいルーティンワーク。
星空も確認は難しいだろうと思っていたが、実際にはいつも通り綺麗に観測することができたので至れり尽くせりだ。

星空も撮影したいが、三脚が必要なのが難点。
2日目

この日は、幕営地より下流域を目指していくことにした。
恐らく分かりやすいくらいに峡谷だろうと思ってはいたが、期待を裏切らない峡谷で安心。
ルアーを流してみると、前日とは違い白斑交じりの個体も見られたのは多少驚きがあった。
分かりやすい放流個体というわけでもなく、ヤマトイワナだが朱点に至る前の白斑なのか、そういった特徴がある個体なのか、かつての営林所関連で流されたニッコウ個体とのハイブリッドなのか変数は余りにも多い。

確実に言えるのは、主観的に見て「まぁ、ヤマトイワナでしょう。」としか言いようがないこと。
いちいち遺伝子検査や学術的な観点で、「これはヤマトイワナといって確実である。」というのには再現性が余りにも低すぎる。
興味がないわけではないが、個人でできる範疇を優に超えているので、しがない一般山釣り師には最大限の経験値による主観的な観測しか許されない。
無論、明らかな放流個体を見て「これはヤマトイワナだ!」と吹聴している近年の風潮には開いた口が塞がらないが、彼らがヤマトイワナと思っているならそれもヤマトイワナでいいのではと思う。

彼らの環世界で彼らのヤマトイワナを見つけて喜んでいる内は自由である。


少々脱線したが、こういう時のアクリルケース。
南アルプス深南部といったヤマトイワナを彷彿とさせる紋様を確認できると安堵する。
初日と異なり、狭まった区間では釣りあげても撮影が極めて困難な状況のため、目で楽しむのみとなってしまった個体も多かったが、それも含めた山岳渓流である。

大体の傾向と、どのような渓魚がいるのか把握ができたので、この日も切り上げた後は焚火の時間となる。

かつてのように、はち切れんばかりの食材と酒をザックに詰めるスタイルに戻ってもいいかなと思いながらも、現在の体力状況がそれを許してくれないのは悲しい点。

年には勝てない。

「持ってきすぎでしょ!」と20代の頃、同行した40代のフライフィッシャーに言われたことを思い出しながらも、今ならその気持ちが分かると切実に訴えたい。
今の見るに堪えない自身の惨状も可愛いもので、数年後に見れば、「あの時はまだ血気盛んが残っていたのに。今の体力は……。」と更に卑下することは確実だろう。

なんとか漸減に留め、山釣りライフを長く堪能したいので釣りのみに没頭せず、幕営地での時間を楽しんでいるのだと釘をさしておくことにする。

無垢な渓魚達は何の疑念も持たず、フライを頬張り、ルアーを懸命に追いかけてくれる。
超絶技巧さながらのアクションは必要なく、ただ着水させるだけで完了である。
何も考えずに何もしないという矛盾としか言いようがない状況が成立する源流部は、私にとってなくてはならない場所なのだろうと感じる。

きっと優先順位が下がり果てるその日まで、新規開拓を続けるのであろう。

酒と焚火の誘惑とライズパーティからの招待状を交錯しながら、この日も満天の星空であった。
3日目
予定では昼頃には車に到着できそうだが、ただの斜面をどの程度の時間で完結できるかが問題。
結局は杞憂であり、尾根まで2時間程度で戻ることができたので、経由地である山頂を足早に目指した。

初日の藪が、今度は勢いをまして覆いかぶさるような形状のため、ただただ難儀であったがそれだけのことではある。
山頂では若いアベックを確認、「そういえば今日は土曜日か……。」と曜日間隔の欠如は職業病がどうしても抜けない。
マリンベルを豪快に鳴らしながら、笹薮から出てきた髭面の男の姿に驚いたのか、2人とも黙ってこちらを凝視している。
甘美な時間を邪魔しても悪いので、離れた箇所で水分補給をしようと動くが、依然としてこちらを見つめたまま一言も発さない。

居ても立っても居られない間の悪い状況でもあるので、「本日はどちらから?」とこちらから人間である証明をしてさしあげることにした。
きっと熊か山賊、霊体でも見ている様な感覚だったのだろう。女性のみが口を開くも淡々と両者の仮面用顔貌は変化せず。
軽い会釈をして立ち去ると、後方から男性が「一体どこから来たんだ……。」と声を出すのが聞こえた。
山小屋勤務時代も感じたことではあるが、学校登山等で中高生が来ても、なかなか自分から発言ができない子達が多く、常におっかなびっくりといった態度と自信のなさが露呈していた。
無論、髭面の男以外の柔和な女性が相対しても、同様の態度であったので私の強面が恐怖を与えたというわけではないと断言したい。

というより信じたい。
今回の20~30代と思われるアベックにも見られたので、若年層の共通点であるのだろう。
対人での意思疎通に重きを置き、結いもやいが一般的な世代からすると、意思伝達に難渋する子達は、生きづらくないか苦しくないのかと心配になってしまうのは老害なのだろうか。
「どうかお幸せに。」といった感情で完結させてしまうようになってしまったのは、個人的にも薄情な人間になってしまったと痛感はしている。

またもや脱線したが、登り区間が限定的だったので、あとは下るのみ。
道中、蛭たちの猛攻に遭いながらも、最後にはカモシカに睨まれて林道にたどり着く。
初日にはなかったはずの落石や崩落も確認できたので、開拓作業は早めに終わらせないと、そもそも車で行くことすら困難になる(つまり実質到達負荷)ことが明白。

宴会に重きを置いた沢泊も懐かしいが、とりあえずはフィールドワークたる一次情報集めを優先的にすることとしよう。
ポイントのみを知りたい
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